本日 書類整理で見つけた「千の風になって」を 敢えて 掲載します。
私の墓前で 泣くのはやめて下さい
私は そこにいません。私は眠っていないのです
私は 千の風になって、空を渡っています
私は ダイヤモンドのきらめきとなって 雪に舞っています
私は 太陽の光になって、豊穣の実りを与えています
私は 優しい秋の雨になっているのです
あなたが 静寂の朝を迎えたならば
私は ツバメとなって 飛び立ちましょう
歌わぬ小鳥は 音もなく
輪を描き 空高く舞い上がるでしょう
私が 夜に輝く 静かな星となっているのです
だから どうか
私の 墓前で泣くのを止めてください
私はそこにいません
私は 死んではいないのです <作者不詳>
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多くの「哲人の書」では 人は 「死」を直視し、一人の人間の有限性を自覚して
こそ、本当の「生」を生きる事が出来る と説かれている。
このポエムには、勿論その「死」に直面させる意味合いを感じる方も居られるかも
しれないが、敢えて「死者」の側からの視点で記述されているのは、「死」の持つ意味===自然との融合===有機体である動物<人間>が、「死」によって、むしろ 自由により広く、より高く、自然と一体になって その<たましい>が なんの束縛もなく
躍動出来る事に 焦点を当てているように思える。
自然の「産物」に過ぎない「人間」が、他の動植物の命を尊重しないで、我者顔に
支配し、食しており、遂には「人同士」が殺し合いをする「戦争」を止めないのは、やはり「死」の意味を しっかり考えないからだろう。
自然から生まれた「人」は やはり自然に帰る、イヤ帰れると思う時、一番ココロが
落ち着くのではないか?
その表現としての「千の風になって」なのだ。
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