「一所懸命」でも「一生懸命」でもありません。 一緒懸命です。
妻の生活ぶりを見ていて 自然に 私が思いついた「言葉」です。
お陰様で 40年以上 普通の日本人としての夫婦生活を 一緒に過ごしてきました。
勿論 人生上の波風は 極、当たり前の様に 我々二人の上にも 押し寄せ、それなりの「苦労」も「悩み」もあり、二人の間には それなりの「悶着」や「言い争い」もありました。そして なお お釈迦様の様に、すべてが「過去形」という訳ではありません。
でも 今の私が 言える事は、妻=美智子への 深い感謝の気持ちです。
どなたでも 自分の「奥さん」への気持ちは 同じようなものと思いますが、私の場合
「年寄りっ子」の三文安で育ったせいか、長い間「世知」に疎く、甘えん坊で、かなり
のほほ~んとしていた若者だった事を、後ほど知る事になります。
彼女との、学生時代の「デート」の時、私も勤労学生なので、収入はあったのに
「お茶代」は いつも彼女が払っていたそうだ。 私にはなんの印象も、記憶も無い。
私は 当時 無意識に年老いた親に給料を全額渡していたようだ。
彼女だって勤労学生だ。 親に迷惑をかけまいと、昼学部に入学したのに「夜間」に転部し、昼は働き、収入を得、仕送りを断っていたという。
この生活に対する 「真っ当な感覚が凄い」と 後になればるほど感心し、私が惚れている原因の一つになっている。
「世知」に対する感度も鋭い。私が よく分からず、苦手とする所であったが、彼女
には、早くから「自立」した生活があったので、難なく捌けるという次第。
また 「九州女」に「関東男」でもある。 それがどうした?という向きもあるでしょうが、それも又 微妙な男女間のニュアンスが 作用しているのでしょう。
いずれにせよ 今ここで これまでの二人の「人生」に感謝し、「一緒懸命」な奥さん
に さらに深く感謝している自分がいます。
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