日経09-8-16付け 半歩遅れの読書術 「時を超える普遍性」より
桜 一樹(作家)は 米国アーサーミラーの手になる戯曲「あるセールスマンの死」を読んだ時、「これは、とても他人事とは思えない」という感想を持った。
舞台はアメリカの地方都市。
セールスマンの「ウイリー」は、頑張ればもっとよい暮らしが、もっとよい未来が、と信じて働いてきた。
でも、現実に得たものは、ローンを払い終わる頃に壊れる豪華な「家電」と、小さなマイホーム、そして30代になっても自分探しを続ける、ふがいない息子。
かっては やりがいを感じていた筈なのに、なぜだか年々、心許無く思えてきてしまう仕事・・・・・・。
期待して その成長に大きな夢を託したのに、応えてくれない息子・・・・・・。
現実を見据え、息子は叫ぶ。
「僕はね、ひと山10セントのつまらない人間なんだよ、 あんただってそうだ!」
すると、夢を見続ける父が叫び返す。
「俺は ひと山 10セントなんかじゃない!」
60年も前にアメリカで書かれた作品が なぜこんなに胸に迫るのだろう、と思ったが、解説を読むと、1983年に中国で上演された時も「中国にもウイリーが一杯いる」と多くの中国人観客が涙を流したそうだ。
かって森鴎外は「社会の事は、文学の上に、影の様に現れる」と、言った。
なる程、優れた文学作品には、その時々の社会を映し出す「現代性」があるが、
同時に、いつの時代にどの国で読まれても心に届く「普遍性」を併せ持つのだろう。
時の経過で劣化しないものこそ本物だということは、作家という書く身には恐怖
だが、同時に、希望の光である。
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書くことに責任を感じる事は、作家として立派な見識であるが 振返って我々
市井(しせい)の一庶民は、生活の何に、そして何時、責任を感じているのだろうか?
一庶民でも 立場立場に応じて、なさねばならない事はたくさんある。
企業に所属して、そこそこに給料を戴いていれば その企業の業績アップのため
に精励し、
教師であれば、生徒の心身の成長の為に粉骨砕身して、その教職の偉大で尊い
任務を貫徹していただきたい。
公務員も地方・国家にかかわらず、国民・市民の血税で その身を養っている事を
胸に刻み 効率的で・公正な仕事を推進してもらう。
親は我が子の成長を温かく見守り、親の思い・考えを押し付けず子供本人の個性・才能を伸び伸びと発展させていただきたい。
たとえ 一庶民であっても なすべき事をきちんと行う事は、社会の進歩につながっていると、私は考えている。
たとえば 企業の中で、経営者側がなすべき事をせず、ひたすらワンマンで、更に
私腹を肥やす事ばかり考えているようなら、早めに自分の進退を考えよう。
そして 今時 部下の意見を傾聴出来ない経営者では、その企業の未来は無い。
「時を超える普遍性」は、時を超えて「普遍性」を持った行動を、我々が成すかどうかに懸かっているのだと思う。
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