今日 3月11日(日)は、東日本大震災から1年目。
地元「河北新報」紙に「震災関連記事」が 特集されていた。
その中に≪宮城・南三陸町 夫の帰りを待ち続ける三浦ひろみさん≫の記事。
お父さん 前に進むってなに?
三浦さんは、この1年間 この震災で行方不明になった 町職員の夫毅さん(当時51歳)
の帰りを祈り続けてきた。
夫が津波で流された町防災対策庁舎に、雪の日も 風の日も足を運んだ。
あの日から時間は止まったままだ。
「こころから笑える日なんて くるのかな」。 心の整理はつかず、防災庁舎を見上げる
日が続く。
「吹雪いてっから 今日は冷たいよね。 お父さん、温まってね。」
雪が降りしきる2日夜も、ひろみさんは防災庁舎に車を走らせた。
暗闇のなか、車のヘッドライトで祭壇を照らす。 赤い鉄骨が浮かぶ。 好物の日本酒をそっと添えて 「帰ってきてよ、早く」。 祈りを重ねて、また3月がめぐってきた。
今まで ひろみさんは、手掛かりを求め 庁舎周辺を毎日歩きまわった。
ヘルメットをかぶり、鉄骨がぶら下がる2階にも上がった。
「ねぇ 返事をしてよ」と泣きながら大声で叫び続けた。
3ヶ月後の6月11日、「毎日待っているから!」と夫の携帯電話に留守電の声を入れた。
夫の誕生日には、「会いたいよ」のメールも入れた。
季節感も無く、大晦日も 正月も 自宅で泣いて過ごした。
「本当は 2年でも3年でも、一生待ちたい。 でもお父さんは 天国で みんなと一緒に
いたいのかもしれないな」 区切りではない。 供養なんだ。と自分に言い聞かせ、
葬儀を4月にすることを決めた。
私が悲しむ姿を お父さんが望まないとしても、どうやって元気になればいいのだろう。」
「前に進むって、なに?」
歌人を自称している 徳島が 涙を流しながら 「ひろみさん」宛に 作品を創りました。
なみだ湧く 被災家族の 哀しみよ
亡き夫(つま)出でよ 現世(うつせみ)に出よ
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