「中小企業の経営課題」 北海道中小企業家同友会発行 大久保尚孝氏著
を読んでの感想
江戸幕府の「封建制度」にガッシリと組み込まれていた時代でさえ、その時を生きる「庶民」は、勿論 競争はあったとしても、農民は農民として、商人は
商人なりに お互い心を寄せあい、助け合いし、生きてきた。
しかし、グローバル化の進んだ現代の社会では、心の平安と成長を育てる そのような「場」は、極端に少ない。
「競争」と「淘汰」の法則の働きが尖鋭化していて、「経済効率」と言う物差しでのみ判別され、効率の良くないものはハジキ飛ばされる。
以下「書籍文中からの引用」51Pより
それは、物や企業だけでなく、人間も例外ではない。
この社会的な影響を受け、人間の暮らしも大きく変わった。
家庭では 両親が子どもたちとの 血の通った関わりを持ってやれない。
学校では、「助け合い」を言うけれども 実際は「偏差値」等による選別をやらざるを得ない。
職場では、効率よく仕事ができなければ疎外される。
せかせかと、人と人が分断されて、大人も子供もみんなが
「一人暮らしと その日暮らし」を強要されている。(神戸大学 二宮厚美教授)
若者たちの、幼児化、未成熟化現象もそうした環境の中で、必然的に現れたものです。
「過保護」だからいけないんだ」と言う声を聞きます。
しかし、私はむしろ、今の子どもたちは、人間として 的確な「保護」を受けて
いないのではないか、と考えます。
なぜなら、「保護」の中には、
①生命を安全に保つ ということ
②人間として社会の中で、自力で生きて行ける力を身につけさせる という二つの側面があり、後者の方が手抜きになっているように思えるからです。
今の子どもは、「親の後姿を見て育つ」こともできません。
また 親の本当の姿を知りません。
その上、親たちの「勤めの都合」で、「早く早く」と追い立てられ、<何故?>の問いに答えて貰えず、親側では 子どもが悩みを打ち明けても聞いて上げる暇も、気持のゆとりも無い日々です。
友達は、塾や稽古事で遊ぶ暇もなく、一人ぽっんと取り残され、何をすればよいのか、何故 勉強をしなければならないのか? さっぱり分からず寂しい子どもたち。 そのまま 他人と関わりを持つ術も、理由も分からないまま
ある年齢になると 社会に放り出されてくる若者たちなのです。
教育に 焦りは 禁物
人間には それぞれに長所もあれば短所もあります。
性格も趣味も違います。それはそれで当り前なのですが、
「人は人の中でしか、生きられない」という特性を持っています。
しかし、今の若者をみていると、とても幼稚で、社会性が欠けているように思われてなりません。
だから、相手の言うことが 良く分からないようです。
私たち、中小企業家同友会 会員は、「共に育つ」と言う考えに立って、社員教育に取り組んできました。
ところが、此処へきて 経営者側が新たな悩みを抱える事になりました。
大量に供給される
① コミュニケーションがうまく出来ない
② いじいじした自己愛が強い、 若者に対する働きかけの悩みです。
この状況の中で、思い出されるのは「今の若者は人間になりかねている」
と言われた大田 堯先生(教育学者・東大名誉教授)の言葉です。
それは、今の日本における教育制度や社会環境では、子供達が主体性を
持った人間として育つ条件が無いのだから焦っては駄目だと 私たちに警告
されたのだと思います。
経営環境の厳しさが迫り、「高校や大学を出ているんだから このくらいのことは分かっている筈だ」などと いらいらするのは、今の若者を知らな過ぎる、と言うことなのでしょう。
したがって、若者だけでなく経営者も、今ここで改めて「人間とは何か?」を
考え、共に「人間として生きて行く覚悟」を確認し合うところから”共生”を始めるべきなのです。
経営者にとっては、ますます厳しい経営環境の下での苦闘ですが、それ抜きでは社員にとっても、企業にとっても「未来の展望」は見えてきません。
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上記の内容は なんという的確で、人を見る目の優しさに溢れた実態の把握の「視線」なのでしょう!
私も 直近の半年ほど 仙台市立夜間(定時制)高校の「進路指導室」に勤務して、家庭の経済面の厳しい生徒、親を含めメンタル面で障害を持つ生徒、相当な学力面でハンデイを背負っている生徒、生活マナーの未熟な生徒達と接してきまたが、その実態に直面しても、なんだか「生徒」には ほとんど「責任」は無いように感じていました。
もちろん 中には かなりの自主性・自立性のある生徒もいるが、まだ
「自己責任論」をとやかく言う段階に来ていない「未成熟」の生徒の大半には、「大人の対応力の有無が試されていたのだ」と感じていた。
特に 私のような「白髪頭」の年配者の立場になると、高校生たちの未来が
壮大で、本来は輝かしく、心懸け次第で いくらでも可能性があることをしっかりと伝えたいと思っていた。
だから 却って「未来に萎縮」した大人にはなるまい とも覚悟した。
各学生個人の為にも、日本の未来の成長の為にも、人類の発展の為にも、
これからも 日本の高校生・大学生に接する立場で 仕事を続けたいと決意している。
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