私は 19歳の時に 勤労学生として 明治大学・夜間部に入学したが、その時に この大学で出会ったのが「男声合唱クラブ」だった。
大学に通い出して2ヶ月位経った 夕闇の迫ったある日、お茶の水駅から
坂を下り 駿河台の明治大学校舎に到着し、教室を目指して、当時の明大記念館の傍を通ると、上の方から、野太い男性コーラスの歌声が聞こえてきた。
そのコーラスの響きが私の身体を貫いた。 重く、力強くハーモニーしている。 大学構内はもう暗い。 歌声だけが わが身を包み、胸をときめかせる。
まったく 予想もしていない 男性合唱クラブとの出会いだった。
人が歌う 「歌声」が、そして「ハーモニー」がこれほど自分の感情を揺さぶるものとは、信じがたい思いだった。
どこかで 自分の「感性」が これを求めていたのだろう。
そういえば、当時は「ラジオ」で流れてくる「イタリア・オペラ」のアリア。
劇的に、そして重低音で歌う男性歌手。
リリックに悲しげな主役女優の「ソプラノ」の声。
勝手に ものまねをして 唸っていた自分がいた。
そしてまた、ロシア民謡を歌うロシア人男性の 太いバリトンやバスのとてつ
もなく低く、力強い声に、惚れぼれとした思いがある。
思い出せば、やはり【歌声】に身体の深奥からの魅力を感じていたのだろう。
夜間大学時代の私は、「合唱」の楽しさや歓喜を体験し、そして仲間内の支
え合いの大切さを学んだ。
この時の最大の収穫は、この合唱ハーモニーの感動を知ったので、
「私は、これからの人生で、どんな辛い事があろうとも、自ら死ぬような事
はないだろう!」との確信だった。
勿論、20歳そこそこの自分が、「死ぬ」等の危機的な問題を抱えていた訳ではないし、将来そのような危険がくる、とも思ってもいないのだが、漠然とした
感覚として、「これで死なずに済む」と確信したのだ。
「音楽の力」は 偉大だと、今でも感じている。
本日(11/23・勤労感謝の日)、<クール・リュミエール>と言う混成合唱団に所属する友人からお誘いを戴き 定期演奏会(川内・萩ホール)に出向いた。
この合唱団は、私が言うのもおこがましいが、大変「質」の高い演奏をされている。だから いつもたのしみにしていた。
今回も予想通りの内容だった。そして、それ以上に「震災犠牲者鎮魂」の意味もあり、指揮者の「戸田 靖男」氏が作曲した「秋のソナタ」や、作詩は 宮沢賢治さんの「雨ニモマケズ」の曲の演奏もあり、大震災の後、涙もろくなった私は、此処で 周囲の観客の方に知られぬよう 幾筋かの涙をそっと拭き取った。
そして思い出していた。 「これで死なずに済む」と
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