今からたった147年前、新大陸では まだ続いていた「黒人奴隷制」を完全に廃止すべく国を分断しての闘い<南北戦争>が、山場を迎えようとしていた。
ヨーロッパでは 既に【暗黒の中世】=キリスト絶対支配体制から脱却し、自由・平等・博愛の市民革命はとっくの昔に成立し、人間個人の尊厳は尊重されていた。
一人 米国では 南部の綿花農場の労働力確保の為、農場主=既得権者側は、大統領に選出された「リンカーン」の奴隷解放政策に、武力で抵抗した。
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■ リンカーン ゲティスバーグ演説 ■
1863年11月19日
アメリカ・ペンシルバニア州・ゲティスバーグ地区付近の戦場で。
87年前に、我々の祖先はこの大陸に新たな国を作り上げました。
その国は自由という理念の上に打ち立てられ、
全ての人は 生まれながらにして 平等であるという考えに捧げられていました。
今我々は 大きな内戦の さなかにいます。
この国が、というより自由という理念の上に打ち立てられ、
全ての人は生まれながらにして平等であるという考えに捧げられた国が、
永続するかどうかを試されているのです。
我々は、この戦争の激戦の戦場に集まっています。
我々は、この国が生き永らえるよう、ここで命を投げ出した人々にとって、
この戦場の一部を 最終的な安息の地として捧げるためにやってきました。
我々がこうすべきなのは まったく正しく適切であります。
しかし、より大きな意味で捉えれば、
我々には捧げる事は出来ません。
我々には呈することはできません。
つまり我々には この地を捧げる事は出来ないのです。
勇敢なる者で、生き残ったにせよ、戦死したにせよ、
ここで奮闘したのもだけが、この土地を捧げてきたのです。
我々の微力では、それに付け加えたり減じたりすることは出来ないのです。
世界は ここで我々が言ったことに対しして注意を払いもしなければ、
後世まで記憶することも無いでしょう。
しかし勇敢なる者がここで成し遂げた事は、決して忘れられる事はないのです。
ここで戦った者がこれまで気高く推し進めてきた未完の仕事に、
ここで新たに身を捧げるのは むしろ生き残った我々です。
ここで我々の前に残されている大事業に、
ここで身を捧げるには むしろ我々なのです。
その大事業とは、我々がこれらの名誉の戦死から
いよいよ決意を持って、戦死者が全力を持って身を捧げた大義へと身を捧げる事です。
その大事業とは、
これらの戦死者の死を無駄にしないようにと固く誓う事です。
その大事業とは、
神の庇護のもとに この国に新たな自由が生まれるようにする事です。
その大事業とは、
人民の、人民による、人民のための政治を この地から滅びないようにすることなのです。
©2001 katokt プロジェクト杉田玄白(http;//www.genpaku.org/)
英語原文に関心のある方は、徳島の手元にアウト・プットしておりますので、
お知らせください。FAXなどで 送信致します。
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何故 今ここで 「リンカーンのゲティスバーグ演説」か?
リンカーンが演説した時のように、我々一人一人が復興に、生活再建に奮闘しなければならない時に遭遇している。
今 東日本大地震とその復旧の渦中に居て、そして正体の掴みきれない原発事故の危機のなかで、我々の意識は 単なる事故被害該当者に留まらない、国難に遭遇した「人民」の意識下であるかの様に感じている。
それも 単なる被害者意識ではなく、来るべき未来が もっと大きな、次元の違う変革(=良いも悪いも)を予感せざるを得ない事態に直面した」とも確信している。
3月11日以前の私の、家庭の、周辺の、社会の日常の、糸のほどけ掛かった様な「管政権」の、かしましくなっていた「リビア」や「中東情勢」等の、ありふれた「新聞記事」の、ネタはいつでも用意されていたが、その本質は少しづつ変化しており、いや逆に本質が事態を明確にせざるをえないように進展していたのだ。
この事態の進展に、我々はどう対応するかで、人は 本当の、個人の、主体的な
「人生」を味わえるのか、どうか? 違ってくるのだろう!
どうせ 生きている限りは 変化し続ける人生なのだから、追われて変化するよりも
変化の先取りをしていきたい。
仏弟子である私は、もともと「諸行無常」を 座右の銘の一つとしている。
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