10、03、21付 河北新報 著者と ひととき欄 より
「高峰 秀子の流儀」 斎藤明美さん
斎藤さんが初めて高峰さんに会ったのは、今から十数年前のことだ。
「二十四の瞳」 「浮雲」などに主演した 日本映画界を代表する名女優。
緊張して取材に臨んだ斎藤さんは、高峰さんが醸し出す空気に 自らの力みがスーッと
消えていくのを感じたという。
「普通の女優さんが持っている虚栄心や自慢というものが全然なくて、人間としての力、
オーラを感じました。
自分を良く見せたい という思いが無くなって、この人の前では ありのままの私でいいんだ
という虚心胆懐(たんかい)な気持になれたんです。」
付き合いはその後も続き、夫の映画監督・脚本家 松山善三さんと高峰さんの、静かな
生活に寄り添ってきた。
そばで見た夫婦の日常を伝える本書では、大女優というイメージとはかけ離れた暮らしぶり
がつづられる。
≪過去を振り返らず、人に期待せず、自分自身に甘えない。大切なのは日々を快適に
過ごす事ーー。≫
何故85歳のこの女性は、高潔な生き方を貫いていけるのだろうか?
「高峰さんは子役の時から親族を養うために働き、大人たちの間で 人間の嫌な面をたくさん
見て育った。 女優という仕事も嫌いだった。 でも心だけは自由でありたかったのだと
思う。
その思いの強さが この人を救ったし、だからこそ人間としの「まっとうさ」を持ちえたのでしょう。
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私の年齢からくる、ごく主観的な観察のセイなのかもしれないが、昔の女優さんのほうが、
そのすがすがしさを含め、今の女優さんより 数段美しいと感じる。
昔と言っても 多分日本の「高度成長期」以前の もっと前の60年安保よりも前をイメージ
している。
多分、女優さんの心・精神が 美しいかったと思いたい。 勿論 世間を構成する「市井」
の人々も、今の様に「自己チュウ」ではなく、隣近所の助け合いも行われていたのだ。
現代社会では 音楽でも、CMでも、映画でも、心を満たすものは 片隅に追いやられ、
どキツイ自己主張ばかりが目に付く様に思われる。
この世相では 内面の美しい女優さんが育つ「土壌」が 蝕まれているのだ。
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