日本経済新聞09,11,15付 コラム「活字の海で」 より
声なき者たちの声に 耳を傾けてきた孤高の詩人、「山尾 三省」が没後8年を経て 再び注目されている。
文明が隘路に差し掛かった今だからこそ、「三省」が実践し 表現した、自然と共にある
「もうひとつの生き方」がリアリティーを増している。
「感じる事で認識する修行者。詩が自然と人間の媒介となり、私たちに自然への通路を見せてくれた。」と 作家の立松和平は 讃えた。
詩人の高良 勉らは「詩人の感受性に 現代の文明が抱える閉塞感をうち破る希望を見いだした。と言う。
「三省」は 1977年に一家で屋久島の廃村に移住。縄文杉をテーマに「聖老人」を書き 注目された。
以降、同地で農業の傍ら”非僧非俗”の立場で 森羅万象 と対話し、そこから得た倫理を
言葉にした。
今年刊行された詩作著書に 「銀河系の断片」と「森の時間・海の時間」があり、両書の中に
収録されている作品に、「一日暮らし」という詩がある。
一生を暮らす のではない
ただ 一日一日 一日一日と
暮らしてゆくのだ と終わるこの詩に
癌で 余命幾ばくもない晩年のエッセーで、自らコメントした。
「僕たちの多くは、漠然と「死」を先送りするだけで、死ぬまでには何とかなるよ、
それまでには成し遂げられるだろうよと、何と数多くの日々を うかうかと過ごし去ってしまう
生物であることだろうか。」
人間 そして文明のあり方を見事に言い当てているとはいえまいか。
「一日一日」をどう暮らすか。
詩人の問いが響いている。 (文化部 堤 篤史)
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日々を生きる。
その日その日を味わう。
今を生きる。
などの言葉で、今までに たくさんの「本」が私に注意を促してくれた。
が、どれほど 人生の「生」を味わい、慈しんできただろうか?
私には 自信が無い。
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日々の暮らしは!
日々の飛びゆく様は、鳥のよう。
一日の「なりわい」の慌ただしさに、我忘れ、
あれも これも と せわしくこなし、
とどまらぬ時は 我をも置きて
はや 陽は傾けり。
家路急ぎて 夕餉に集い、
明日の支度に掛かれども、
成すべき事ども 多かれや。
我 昨日 何をなさしむや。
我 今日 何をなさしむや。
まして 明日 何をなさしむや。 無門庵
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