突然ですが、「鬼」について ここ 2~3年前に、気づいた考察を述べます。
江戸時代よりも前から、「おとぎ草子」は 庶民の間によく知られる様になっていて、母は子に
寝物語りとして聞かせていたんだろうと思います。
その根拠はあります。
私自身のこども時代の経験ですが、私の母親が 布団に私たち二人の子供を入れ、そばで横になって、いつも「昔むかし あるところに・・・・・・・」と話をしながら寝かせてくれたからです。
その「むかし話」に鬼がでてくるのです。
桃から生まれた「桃太郎さん」は、大きくなると、おばあさんに「きび団子」を作ってもらい、鬼の
住むという「遠くの島」に鬼退治に出かけます。
「そこには身体の大きな「赤い鬼」「白い鬼」「黒い鬼」などがたくさん住んでおり、またその鬼の
形相はというと 髪を振り乱し、大きな口を開け、太い鉄棒を持っていた」という。
私が大人になって気づいたのだが、これらの「鬼」は、当時の「ヨーロッパ」から出航した船の
「乗組員」か、ミクロネシア付近の島民が、難破して日本近海の「島」に漂着し、そこを「基地」として生き抜き、時には本土「食料調達」のために押し掛け、略奪をしたのかもしれないと言うもの。
白人が、陽に焼け赤くなり、また黒人も混じっていたかもしれないし、南洋の島の住民かもしれない。何よりも身体がでかい。
当時の日本人からみれば、「巨人」のように見えたに違いない。長髪の髪は伸び、おまけに
黒い髪ではない。昔の日本人からみたら 正体不明のこの生物は、「鬼」としか見えないだろう。
お互いに 通じ合う「言葉」がないのだから、お互いを理解し助け合う事も出来ない。
結論として 私の「鬼伝説」の鬼の解釈は、かって、大昔に遭難した気の毒な異国の「船員」か「漁民」であろうというものである。
「言葉」が分からない。という事は、意志の疎通を欠き 人を孤立化させ 時にはお互いに
迫害しあい、時には殺し合う事になる。
人類がすべて「共通語」を語るなら、この悲劇は起こらないのだが。
もっとも、仮に「共通語」を使っていても「自己解釈」だけの言葉で会話している事も結構多いのが現実だ。それで争いが起きる。
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