故 マハトマ・ガンジー氏の言葉
明日 死ぬと思って 生きよう!
永遠に 生きると思って 学ぼう!
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日本人には 「死ぬ気でやれば 何でも出来る」 とか、 いつも 「死」を覚悟する。 「死に際」を考える。 等の「言葉」がある。
これによって、人は 有限の自分の「いのち」に思いを寄せ、惰性に流れていた自分の
「生き様」を反省し、より充実した<人生>に立ち返ろうとする。
これは 源平の時代から戦国時代にかけて、武闘を<なりわい>とする「武士」が、
その名の通り、自分の主君に命を預け〈忠君・愛国>の旗印の下に、滅私奉公で
活躍した時代から、連綿と続く <サムライ>の哲学であったのだろう。
長い間 日本の思想的にも、社会の支配的階級に君臨した「武士階級」の考え方は、
やがて、「禅宗」の思想的接近もあり、≪いさぎよい死に方≫の考えを生むと同時に、「死」を意識することは 日常的な「武士」の生活の中で「必然」であり、その原点に立ち返ることで、人の本来の「生き様」に立ち返ってきたのだ。
ガンジーさんの次の言葉・・・・・「永遠に 生きると思って 学ぼう」は、生きていく上
の 積極的意義を 明確にしている。
「死ぬ気で やれば 何でも出来る」の内、何をやるか?に対して、究極的な言葉
「学ぶ」は、人の人生の「幅」を広げ、「質」を高める事に通じる。
自分の<死>を、消極的にとらえれば 「どうせ死ぬんだから」と 学ぶ楽しみをあきらめる。
自分の<死>を、積極的にとらえれば 「死ぬまで 見聞を広め、世界を知る楽しみを続けたい」となる。
どちらの「生死観」が、己の人生に輝きをもたらすか?
ガンジーさんが、この二つの言葉を併記してくれた意味は大きい。
永遠に 生きると思って 学ぼう!
明日 死ぬと思って 生きよう!
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