『致知』という人生指南の月刊雑誌2011年2月号・特集「立志照遇」より
篠原鋭一(曹洞宗 長寿院 住職)氏の言葉 を紹介いたします。
定年を迎えたら 後は余生という考え方は間違いです。
人生は、生まれた途端に日付の書かれていない定期券を手にするようなもの。
最期の時をいつ迎えてもいいように、日々悔いなく生き抜いて、初めて現役を終える。
人生に余生や老後というものはないのです。
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これまで6000人もの自殺志願者の相談に応じ、その立ち直りに尽力してきた篠原住職。
就職の決まらないフリーター殻、リストラにあった会社員、独居老人まで、相談の電話を
かけてくる人は実に様々です。
そうした中で、篠原住職が一貫して問いてきたことは、
自分の命というものは、与えられたもの、授かったものである
という事でした。
与えられたものである限りは、大切に、最後まで生き抜かねばならないということです。
人生の尊さを理解してもらうため、篠原氏は人生の持ち時間についても説いています。
人生を80年とすると、睡眠で27年、食事で10年、トイレで5年分の時間を消費する。
これらを差し引くと、たった38年しか無い事が分かります。
いつ最後の時を迎えても悔いを残さないように、一日一日を大切に、充実した人生を
歩んでゆきたいものです。
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一般的にも、通常「通勤時間」・「レジャー・余暇時間」・「病気、体調不良時間」・「飲み会」等
これ以外の 人によっては様々な時間の消費を行っているので、実質の時間は より少ない
事だろう。
私個人の場合は、ある「ライフ・ワーク」を抱えているので、それを完結させるためには、
自分の寿命を「還暦を二度迎えよう」に定めている。
その為、運動にも 食事にも良い習慣化を心がけ、実践しているが、それでも、篠原氏の考え方を取り入れると、自分の実年齢から計算すると、実質18年ぐらいが、これからの時間という事になる。
仇おろそかに、時間を浪費出来ないと 心に誓う。
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