私の 数年前の経験で違和感を感じ、本日 前向きに解決出来た事の報告です。
ある社会的に、とても大切な全国規模の福祉団体に共感して、その組織の行う「ボランティア活動に応募すべく、仙台の支部で面接を受けた時の事。
★その組織は 面接に合格してからも、約半年間の有償の研修を受け、合格しないと その 「メンバー」にもなれない。 もちろん、その後の活動は無償である★
私が 違和感を感じたのは、その最初の「面接」時の、面接担当者側の態度であった。
面接を受ける側の我々は、関連資格や職務経歴書、そして何よりも なぜその組織に入会し、活動したいか?を熱烈に記載した「加入希望書」を添付していた。
しかるに、面接側の男女計4人は なんの自己紹介も無く、机の上には彼らの立場を標記して然るべき「名札カード」も無いまま そのまま面接は始まった。
いわば 私は「丸裸」にされているのに、先様は 自らの立場を説明する事もせず、名前さえ名乗らないのだ。
その会・組織の目的が、カウンセリングマインドを必要とし 多くの人の命を救う素晴らしいものなので、逆にものすごい違和感を感じたまま、その面接は終了した。
そんな私側の雰囲気が出たのか? 面接は当然の結果になった 。
もう二度と その組織には 関与しないと決意したぐらいだった。
ちょうど本日(5/29)、別の団体<仙台傾聴の会>主催の「講演会」があり、その講師が 当時の かの「福祉団体」の仙台の理事長さんで、かって私を面接した最高責任者でもあった。
「心の回復力」という演題で講演してくれたその方の「カウンセリング」に関するお話は、まだ未熟な私にとって、やはり かなりに役立つものであった。
そこで、帰りがけ 勇気を出し、その理事長さんに 当時の私の「思い」をお伝えした。
「彼女」(=理事長さんはご高齢の女性)は、その指摘に驚いて お話戴いた事に感謝します。との事。 毎年 今までも同じパターンでの「面接」であったようで、改善に動くそうだ。
「ボランティア活動」を志願する事は、決して下手(したで)に出て行うものでもなく、主催者にも、受益者にも、対等な立場での活動であるのに、いつの頃からか、主催者や面接する側が 何か「偉い者」の様に勘違いするのは、「ボランティア活動」の「歴史」の浅い日本の現実なのかも知れない。
本日、たまたま、気になっていた事柄を、直接ご本人にお話ができ、気付いて戴き 解決の方向が出て 良かったと思う。
ちなみに 本日の講演で語られた「カウンセリングの基本姿勢」とは
① コミュニケーションは人間関係の潤滑油。 共感性が求められる。
② どの位 人の心に寄り添えるか? 背景にある感情に焦点を当て、注意深く聞く。
③ 人には自己回復力があることを信じる。 その回復力を引き出す為に 心に触れる。
また 本日 配布されたテキストには、カウンセリング・マインドとは?として
① 一人ひとりを大切にする心
② 人の痛みを感じる心
③ 待つ心 (人は 催促したがる)
④ 可能性を拓く心
⑤ 向き合う心
⑥ 柔らかい心
⑦ 葛藤を生きる心 (自分の葛藤を乗り切る)
⑧ クライエントに学ぶ心
⑨ 生涯学び続ける心
⑩ 共に生きる心
とありました。どこかで お互いに深め合っていきたいですね!
最後に 今日の学びのもう一つを お伝えします。
カウンセリングをしていて、相手が「クライシス」に落ち込んでいる時の考え方
クライシスとは 「危機」と訳されるが 「転換」する 「分水嶺」とも訳される。
人生上 耐えがたいクライシスに陥った時にどう考えるか?
「転換」する・・・・・・ターニングポイント 良くも 悪くも変化が求められる。
「分水嶺」・・・・・・・判断する時 成長につながる。
と捉えて戴く との事。
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