大山康晴は、49歳の時に18期保持し続けた名人位を失っている。そして最後の タイトルであった王将位を50歳で失う。
この大山が51歳の時に書いた文章を読んでみると、絶頂から無冠になった後の 心構えや行動に教えられる。
「無冠」になって、気持ちが軽くなった。あとはどうして立ち直ろうか?と、その点に絞ってゆけばよいと自分をなぐさめた」
「今度は、新しいものを身につけたい」 「休暇をとったつもりで、やり直そう」と長期戦の腹をかためた。また 「これをいい機会として、世間や将棋界、そして自分を見直すことに時間をかけようと決心し、どんな仕事もひきうけた。
自分の流儀はそう簡単に変えられる筈もないが、頭から「変えられる筈もない」と決めこむのは あまりにも臆病すぎると大山は言う。旅行にも頻繁に出る。酒席にも遠慮はしない。そして自分が過去に名人であったことも忘れるようとしていたという。限られた枠の中で軌道の修正を図らずに、広い世間に出てみた。
「立ち直るためには、一刻も早く以前の立場を忘れることである」という言葉は、中年からの人生の転換をはかろうとしている現代人に強い示唆を与える。 あの大山が名人であったことを忘れて新たな旅に出ようとしていたとは、、、、。
「五十歳の新人」として戦い、十段戦では宿敵・中原に勝ち、タイトルを奪還した。
「もう、歳だなあ、、、、。」と心にゆるみが生じたときに、すべてのタイトルを失ったと述壊する大山は、そういう敗北主義を認めない。
29歳で名人位に就いた天才棋士に尊敬の念を覚えるが、私はむしろ、50歳で無冠になってからの大山のこころ構え、こころがけ、そしてその後の棋士としての生活に興味を覚える。
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上記は mag mag通信 「今日も生涯の一日なり」 多摩大学 久恒教授ブログより
生物種としての「人類」が 「進歩?」してきた来たのは、その飽くなき<物事>への関心・興味深さ、探求心にあると思っている。 当然個々の人間も同じく、若いころは「世界への探求」に目もくらむ思いを持った事だろう。
知らないことが多すぎる。人生の「マニュアル」はどこにあるんだ? どんな仕事があるんだ? 神はいるのか? いつか死ぬのか? 友達は何を考えているんだ? 勉強をして何になるんだ? 正義とは? 星は何? 太陽は何だ? オヤジの考えは古すぎる! など‥ 今でも、「あら環」になつたが、私は「科学」の最先端の記事はスクラップを欠かさない。
どうせ 死んでしまうなら できるだけ 新しいことを知りたい。そして 実践できることは 行動に移したい。できれば 自分ひとりのものにしないで、多くの仲間と、行動を共にし、成果を社会に還元したいと思う。
大山名人のように、挫折があったとしてもくじけず 自分の過去にもとらわれず 新しい自分を創り出したいと思う。
「立ち直るためには、一刻も早く以前の立場を忘れることである」という言葉は、中年からの人生の転換をはかろうとしている現代人に強い示唆を与える。 あの大山が名人であったことを忘れて新たな旅に出ようとしていたとは、、、、。
以上の言葉に自分は間違っていたのかと気づかされました。
ありがとうございました。
投稿情報: 柴田 邦彦 | 2009年10 月13日 (火) 05:47