まだ 私が40台の歳のころ、東京駅前の「新丸の内ビル」勤務時代、ご多分にもれず
仕事、仕事と追いまくられ、結構遅くまで残業をしていた。そんな日常のある日、ある程度 こころの交流が出来ていた友人との会話で 帰宅が遅くなったときの「タクシー」の使い方の話が出た。
彼は 確か世田谷区にある 借り上げ社宅の一軒家に住んでいた。大通りではない、普通の歩道から、更に細い、いわば 両側には「藪」が迫る小道の奥の突き当たりに住んでいたという。
そこで、タクシーだが 彼は必ず その突き当たりの「自宅」まで、車を入れさせると言った。
私は驚いた。バックするのも大変な「袋小路」なら、そのタクシーの運転手は えらい難儀を背負う事になる。 ある程度 信頼感を持っていた友人が 事も無げに そう言うので、改めて彼の顔を眺めた。
人の考え方の違いの大きさに、たぶん初めて気づいた時かもしれない。
藪小路の長さは、たぶん多くても 「50メートル」もないだろう。
疲れての帰宅とは云え、他人の難渋に思い至らない人(=友人)の出現に、何か強烈な印象を持った。 現に今でも おもい出してここに書いている位だ。
どんな立場の人にも、その立場を支えてくれる人がいる。決して世の中は 自分が中心では無い事は父親から教わった 次の「警世短歌」で 学んだ。
<箱根山 駕籠に乗る人 担ぐ人 そのまた草鞋 作る人>
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