「僕がバットの種類を変えないのは、打てなかった時に道具のせいにしたくないからなんです。」
これは 「NHK」のTVで、日米の子供たちが イチロー選手に素朴な質問を彼にぶつけ、彼が真剣に答えるという番組で聞いた、イチロー選手の印象に残る「言葉」である。
この番組のプロジューサーは 回答が子供に向けられているようでいて、実は番組を見ている大人たちへ「視線」を向けてるのではないかと、考えてしまった。
イチローの発言は極めて哲学的であり 求道者としてのそれであった。
続けて彼は言う。
「打てない時に、バットを変えてしまうと、何かある度に バットを変えていくようになる。
そういうバットのせいにする人間になりたくないから 道具を変えないんです」と。
僕は二重に驚いた。
一つは その恐ろしいまでのストイックな考え方だ。
つまり、自らの肉体を そして精神を常に限界まで研ぎ澄ます為に、そこまで気を配るにかという驚きだ。
二つ目はその逆だ。
つまり、イチロー程のトップアスリートでさえも、気がつかなければ バットのせいにしたり 環境のせいにする「他責」思考になってしまうのだな、というおどろきだ。
「他責」である限り、人の成長は無い。すべては他人のせい、環境のせい、自分は悪くない。 これでは進歩が無い。
逆に 「自責」こそ成長を生む。
問題の原因は自分にある。自分を変えることで問題を変えよう、と発想する。その結果、変わって行く。 成長していくのだ。
しかし イチロー程の、世界でも稀にみるほどのストイックなプロフェショナルでさえも、気ずかなければ、他責になる(バットのせいにする)のである。
我々凡人が、ましてや 我々凡人の部下たるメンバーが 事ある毎に「他責」になるのも仕方がないのではないか。そう思った。
つまり 「他責」の考え方になる人材が9割以上である事を織り込んで組織を作らなければならない。
僕が講演や社内の会議で話す時、上位2割への指導と、その他8割への指導方法は 全く変えなければならない、というのがある。
上位2割へは、気を遣はなくてもよい。
褒めようが、けなそうが、高いプレッシャーを与えようが、彼らはついてくる。そして勝手に育っていく。 彼らには自尊心があり、間違いを指摘されても、それを人格否定と切り離し、すっと受け入れる事が出来る。
しかし、同じことを その他の8割にしてはいけない。 ミスの指摘、指導、すなわち、行為に関するある種の否定が、彼らにとっては人格否定のように捉えられてしまうのだ。
それは 彼らの自尊心が小さいからに他ならない。
*************************************
株式会社フエイス総研 代表取締役社長 小倉 広氏
人と組織の悩みコラム VOL216「イチローがバットを変えない理由」より
私は 会計士・弁護士・労務士さん達と違い、企業への関与については 組織内の課題解決・目標設定などを行い その他は「モチベーション」と「コミュニケーション」の向上を、 重要テーマとしてとらえ行動している。
その目で観て 小倉氏のコラムは、現場に密着した、実践的な視点を提供してくれている、と感じている。 もちろん 私の関与先の社長 管理職の方々にも印刷物として提供させて戴いている程なので、今後もこの小倉氏のコラムは 私の「ブログ」にも時々登場する可能性があります。お役立ち情報はみんなのもの。個人で押さえていては「もったいない」と考えて居ります。
感銘をうけました。できればこうありたいと思いますがつい、周りのせいにして逃げてしまう事を反省いたします。イチロウがあの若さでこうした境地に到達したのは並々ならぬ努力と、先駆者としての自負があるのでしょうね。
コラムたいへん参考になり、毎回楽しみです。
投稿情報: msato | 2009年10 月16日 (金) 14:19