<藤原実方>は 平安中期の人。 花山・一条両天皇に仕え 、従四位上・左中将に至る。 『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人とも称されたこともある。 中古三六歌仙の一人。
長徳元年(西暦995年)1月 一条天皇の面前で 藤原行成との間で、「歌」について口論になり、怒った<実方>が 行成の冠を奪って投げ捨てるという狼藉を働いた。
これが原因で 怒った天皇から「歌枕を見て参れ」と陸奥の守に左遷され、当時の辺境の地・東北の陸奥に下向した。
また 任地(現在で言えば、名取市笠島)で、道祖神前を通る時に、地元の農民の注意を聞かずに、乗馬のままで往来し、まもなく落馬し その傷が元で亡くなったという。
実方の没時の年齢は40歳ほどといわれる。
実方の和歌は、勅撰和歌集に多数入集。 例えば『拾遺和歌集』に7首有り。
小倉百人一首(『後拾遺和歌集』恋ー612より
51番 かくとだに えやはいぶきの さしも草
さしも知らじな 燃ゆる思ひを
<内容記述の多くは web情報『ウイキペディア』から>
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ご縁が有って 親しくさせて頂いている名取市の 菓房たこうやという「和菓子店」が、{実方まんじゅう}という地元に人気の商品を造られているので、実方氏の名前に
特別の興味を抱き、タイミングが合い、訪問させて頂いた次第。
そこで 墓参時に自然に 下記の作品が浮かび上がりました。 ただし、歌の技巧よりも、その場面での「想い」を表現するだけの、未熟な作品ではあります。
★ 実方が 名前冠せし 饅頭を
商う店よ その名高めよ
★ 無念の死 才も美もある 殿なれど
我は学べり 瞋恚なる罪
注 瞋恚=怒り、うらみ
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