何とも 考えさせるタイトルの書である。
2010、07、18付け 河北新報 あなたに贈る書評欄より
「眠ってよいか」・竹山 広著 <ながらみ書房> を
歌人 篠 弘(シノ ヒロシ)氏が書評
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書名でもある「眠ってよいか」は衝撃的で、死を意識し、成就したかったことを 置き捨てにする、その悔恨がにじむ。
また、両手の重さを知り、死後の大きな負担となることを 思い患う。
<あな欲しと 思ふすべてを 置きて去る
とき近づけり 眠ってよいか>
<試しみて ある夜おもひき 死者の胸の
両手の重さ 耐えがたからむ>
キリスト教徒であった作者だが、天国への夢想は「げにおそろしきこと」として信じていない。 時代にあがらってきた、自らの自恃(じじ)の念を慈しみ、諦観(ていかん)はない。
とりわけ、生身で現実に立ち向かい、宗教色がないところが、世代を超えて
共感された人である。
<勲一等を 授かりし どの政治家も
分に過ぐるといふ 顔をせず>
<医者に 何といわれし 妻か今夜から
遮二無二横にきて 寝るといふ>
<入浴を 一人で今日は し終へたり
二度ほど妻に 覗かれながら>
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この五つの短歌の、それぞれの重みとユーモアを感じつつ、分かる、分かる、と思いながら、歌を読み継いだ。
死の捉え方の感性から、キリスト教の深みの無い「天国への夢想」。そして現世に充満している「偉い人」への観察。 そして、自分の妻への温かいまなざし。
もっとも、書評の歌人・篠 弘さんは、この<書評>のサブタイトルに
「死を恐れる高齢者へ」という鋭い「言葉」を表示している。
私自身も、「死」への覚悟は、まったく無く、まさに準備中であるから、
本来、このブログを記載する「資格」は満たしていないのかも知れない。
更に もう一つ この記事に記載されている メインサブタイトル「死恐れず日々美しく」は、河北新報編集氏の、まだ未熟な我々への、せめてもの御配慮か?
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