11-12-14付け 河北新報 環境共生社会に向けて
~ 恵みを活かすこころ~ プリズム欄より
東北大学院 環境科学研究科教授 新妻 弘明氏
グローバリゼーションの波は、人間、地域、国の「個」の喪失を生み、代替え
可能な、自分である必要のない人、此処である必要のない地域が求められて
、悩む個人や地域の疲弊を生んでいます。
という文章があった。
このエッセーの本来の「趣旨」は、「恵みをいかすこころを」のタイトルが示すように、我々人は、他の生物や物質、物、あるいはエネルギーの恩恵に預かっている、という心、そして、戴いたそれぞれの命を最大限いかす、という心が
根底にあるべきだと思います。・・・・に有り、
「命をいただき、いのちをいかす」というこころが人々の根底にありさえすれば、ひとりでに環境共生社会になっているような技術や社会を創るのが、専門
家と言われる人々、行政に携わる人々の役割なのではないでしょうか。
と結ばれている。
しかし 私がこのブログで取り上げたいのは 別の次元のテーマ。
人間の根源的な 存在の意味について。
たとえば 超大会社に勤めると 多少の頑張り位の仕事上の実積は、誰に
変っても挙げられるもの、誰がやっても変わらない実積だ、と思われ易いし、
事実 そんな実態でもある場合が多い。
自分でなければ代替えが効かない成果・特殊な行動でなければ、いつでも、何人にも交代させられる運命にあるのを、自覚した事はないだろうか?
グローバル化(=其々の巨大化)は、人間ひとり一人の役割を、極小化する
運命に繋がる。
これは、個の人間の個性、生きざ、悩み、苦悩を理解し、これからの人生を
共に考え、共に進む立場とは、あまりにも違う。
この有様が、人々の心を傷つけ・乱す元凶の一つなのだ。
哲学的にも、自分の依って立つ基盤が あいまいでは自己の成長を維持でき
ない。 自分でなければならない根拠は何か?
この「エッセー」には 随分と重い「問い掛け」が隠されていた。
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